なぜツキノワグマは人を襲うようになったのか?自然の変化を鋭く見つめ続けてきた動物カメラマン宮崎学が送る新メッセージ
2012/11/25 日曜日   ツキノワグマ日記

ツキノワグマは「人を食う」…か?

7月から中央アルプスの駒ヶ根高原で行方不明となっている50代女性は、結局いまだに発見されていない。
観光地のど真ん中で、近所にはホテルやレストランなどもあって、車や人の往来のあるその道路からいきなり行方不明となった。
オイラの仕事場からは、400mくらいしか離れていない場所。

行方不明直後から数日間、かなり大がかりな捜索がされていた。
周辺道路などには50m置きくらいに消防団などが張り付き、くまなく探しているようすがみられた。
県警のヘリコプターもやってきて、空からの捜索も行われていた。
真夏なので、草木も生い茂り見通しはきわめて悪い。
しかし、不明者の手がかりはまったくつかめなかった。


そんな様子をみてオイラは、絶望的だろうな、と思っていた。
「視認」に頼る探索法というよりも、すでに亡くなっている可能性があり、臭いによる「嗅覚」で探すことの大切さを感じたものだが、若い消防団員にそのような認識と感覚があるのか多いに疑問を感じた。
けっきょく「神隠し」にあったというような結論で、晩秋の季節を迎えた、のだった。
このとき、「動物に食われているだろう…な」というようなことが、一部の地域住民から聞こえてきた。
そして、ことあるごとに、
「gakuさんよう、クマは人を食うかねぇー?」 、とオイラにも疑問をぶつけてくるのだった。

その返事としてオイラは、

「ああ、食うよ。死体だったらあっという間に食ってしまう。
数頭の熊がいれば、いいところ3日だ、な。
人間だって、死んでしまえば雑食動物にとっては『餌』でしかないから、あっというまに食べられてしまう、さ。
熊はドングリやハチミツしか食べないと思っている人は多いけれど、そんなに品行方正で崇高な動物ではないのだから、な。
アフリカにハイエナがいて自然環境をクリーニングするように、ツキノワグマは日本のハイエナ的位置づけとなるスカベンジャー、なのよ。
自然界のあらゆる動物の死体なども食べて処理しているのが、熊だからな。
でなければ、あのような感度のよい鼻をしてないし、巨大なキバも持ってない。しかも、胆のうが大きくて立派なのは、肉を消化しなければならない内臓パーツ、だからさ。
そんな体の特徴を備えながら、縄文時代、弥生時代、戦国時代…、そして平成時代の今日までツキノワグマはこの日本という環境下にちゃんと生きてきているということを理解しなければならない。
ということは、里山でどう生きていけばいいのかといった方法論をクマはすでに確立している動物だから、人間社会の周辺での生き方の折り合いは充分につけてきている、からじゃ、よ。
江戸時代や昭和のはじめくらいまでは、日本も土葬だったので「くまで」といわれるあのような爪で、墓を暴いて人だって食ってきていたんだから、な。
その反省もあって「火葬」文化になって今日があるのだけれど、火葬しか知らない現代人にはとうてい理解できない熊の生態かもしれない、な。
自然界には「死の生態学」がちゃんとあるのに、そのことを知ろうとしない平成現代人には、まさに神隠しになってしまうんじゃ、よ。
そんな現代人のためにオイラは、「死」や「死を食べる」という写真集を出しているのだから、これは偉大なる自然エコロジー写真作家にしかできないテーマじゃ、ぞ!!」。


と、まあ、オイラがツキノワグマの本質的なところを語ればこうなるのである。
こんな視点で自然界や野生を語れるのは日本でもオイラだけ、だろう。
ツキノワグマの研究者や専門家というヒトたちで、ここまで語れる人をオイラはまだ知らない。
だから、オイラは写真家として視覚言語の立証へと向かうのはふつうのこと、なのである。
それこそオイラは、自分に課せた宿題をやればいいことだけ、なのである。
ちなみに、この駒ヶ根高原周辺には、ツキノワグマが大小10頭以上生息していることも付け加えておこう。
この頭数の存在は、何台もの高性能な自作無人撮影ロボットカメラを駆使して、オイラだけが確認しえていることだから自信をもっていえる、のである。

写真:シカの死体を食べるツキノワグマ。雑食動物のクマだから、死体を普通に食べていることを忘れてはならない。

(from/ gaku )

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