なぜツキノワグマは人を襲うようになったのか?自然の変化を鋭く見つめ続けてきた動物カメラマン宮崎学が送る新メッセージ
2008/2/8 金曜日   ツキノワグマの撮影

ツキノワグマの学習放獣を考える ?

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ある高名な動物学者と酒を飲んでいた。
もう、30年来の付き合いをしている神様みたいな学者だから、たがいに理解しているものと思っていた。
ところが、その学者がいきなりボクに、こう言った。

学者 『宮崎さんはツキノワグマの学習放獣に反対しているようだけど、私の○○県では全部成功している。ちゃんと、追跡調査をしているから大丈夫。』
gaku 『・・・・・・・・  』

ボクは、返事をしなかった。
返事をする必要がなかった、からである。

ボクはツキノワグマの研究者でもない。
学者でも、ない。
専門家でも、ない。
一介の写真家として、自分の技術を磨きながら、黙して語らない自然界に視覚言語で挑戦をしているだけである。
だから、自然界で疑問に思ったことはすなわち自分の技術で写真を撮り、問題提起をしていけたらいい、と思っている。

その、ボクの自動撮影装置には、明らかに人間によって捕獲され、耳などに標識タグをつけたツキノワグマが写っているからである。
それも、奥山とはいえない、人里にちかい山中でのこと、だからである。

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学者は「追跡調査をしている」から、と言っていた。
その結果は、学習放獣がすべて成功しているのだ、と。
まあ、県によってツキノワグマの行動に多少の違いがあるのかも知れないが、日本のツキノワグマだからそこまで全員すべて行儀がいいとは思えない。
研究者のやっていることがいちばん正しくて偉くて、写真家のやっていることはどうも認めないというような発言にも、聞こえた。

ボクは別に認めてくれなくてもいいが、自分のカメラ技術には絶対的な自信をもっている。
でなければ、1年も、2年も、3年も、毎日同じ場所にデジタルカメラを設置して連続的に克明な撮影記録なんてできない。自分で開発してきた技術があるから、長い年月をこうして安定的に無人撮影によるフィールド調査ができているのである。
だから、ボクだって、ツキノワグマをカメラで「追跡」している、のである。

学習放獣とは、何を定義にして言っているのであろうか?
捕獲して放したその場所から「いなく」なれば、すなわちそれは成功とみなすのだろうか。
数キロや数十キロ離れた同じような場所に再出現していても、それを学習放獣の「成功」というのであろうか。
まあ、どこで捕獲して放獣されたものかはわからないが、明らかに耳タグやアンテナ付きの首輪をしたツキノワグマがボクのカメラに写るということは、関係者が期待するほどツキノワグマは「奥山」には決して行っていないということである。

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だから、学習放獣=お仕置き放獣がベストな方法と盲信している一般市民や自治体があるとすれば、それは間違いだとボクは思っている。
捕獲をして、放獣しっぱなしで、その後を追跡していないようでは、「成功」とはいえないからだ。ならば、ツキノワグマが出てきただけの理由で捕獲し、「学習」といって放獣し続けることの意味は何なのだろうか?
捕獲という恐怖心をツキノワグマにいたずらに植えつけて、それが人家付近をうろつきまわっているとすれば、すなわち人間との出会い方次第では「逆恨み」をしてくる個体だっていないともかぎらない。
だったら、目的のみえない捕獲は、クマのためにも人間社会のためにも、しないほうがいいからである。

写真上:耳タグとアンテナ首輪をつけたツキノワグマが養魚場のマスを盗みにきた。
写真中:右耳に赤タグとアンテナ(左個体)、右耳に緑タグをつけている。
写真下:右耳に赤タグ、左耳に黄色(左個体)、左耳に赤タグだけの母親。

(from/ gaku )

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