なぜツキノワグマは人を襲うようになったのか?自然の変化を鋭く見つめ続けてきた動物カメラマン宮崎学が送る新メッセージ
2012/5/12 土曜日   ツキノワグマ日記

熊に「ドングリ撒き」プロジェクト検証実験中 その4


(このイノシシは2歳のメス)


(口のでかいイノシシは、豪快にドングリを食べると思いきや一粒ずつ丁寧に拾ってはかみ砕いていくから、ここにはなんと45分間もずっと居座った。その間にストロボが何回も発光されるがまったく警戒心も示さず大胆不敵。こういう精神状態のイノシシが、ここ10年ばかりでだいぶ増えてきている。こうした度胸はツキノワグマにもいえることで、撮影者として一昔前にはまったく考えられなかったことである。動物も時代とともに、それだけ変わってきているということか。)


(リスは相変わらず常連となったが、アカネズミは逆にまったく姿を見せなくなった。)


(カケスは年間を通してドングリを好むのか、これからの動きに注目したい。)


(サルの親子がふらりと立ち寄ったが、ドングリが他の動物たちに平らげられて不満そう。)


(これはクロツグミだけど、地上偵察中でドングリには関係ないのかもしれない。)

昨秋オイラは九州へ出かけた。
そこで、見たものは大量のドングリだった。
とにかく、道路沿い、公園、林縁、ツキノワグマがいるのではないかと言われている祖母山でもドングリだらけ、だったのである。


九州には、どうしてこんなにもドングリが落ちているのだろう、と不思議に思った。
九州の動物たちは、これらのドングリを当てにはしていないのだろうか、という疑問もわいた。
このように、大量のドングリが落ちているというのに、誰も関心を示さないのも不思議だった。
ドングリといえば、いろんな動物たちが食糧として利用していることはオイラも知っている。
ならば、この現象に地元の動物写真家とか自然に関心のある人たちがもっと「関心」を示してみてもいいのではないか、とも思ったものである。

今回の「ドングリ撒き」プロジェクトのような撮影を九州で誰かがやれば、このような疑問も解決できると思った。
そうすれば、大量に打ち捨てられているドングリの行方も九州発のデータとして理解できるのではないか。
それができるのは、写真家であり研究者なのかもしれない。
しかし、そうしたことをやっているようすもない。
そこで、オイラはこのドングリを10kgばかり拾って帰ることにした。
それには、すでにある「読み」があったからだった。
要するに、動物たちの「食わず嫌い」をこのドングリで調べてみたかったのである。

いまから20年ほど前に、オイラはアカネズミで「食わず嫌い」の実験をしたことがある。
東京はお台場公園で拾ったマテバシイと都庁近くの公園で拾ったシイのドングリを少しばかり持ち帰った。
そして、地元のミズナラのドングリとそれぞれ5個ずつ自分の山荘の庭に並べて置いて、どれを一番先にアカネズミは持ち帰っていくのかという実験である。

CCDカメラで現場を狙い、ケーブルを伸ばして室内のテレビに映し出して、アカネズミの行動を追った。
大画面のモニターに映し出されるアカネズミの行動で、「食わず嫌い」の結果が確実に目撃できたのだった。
アカネズミは、地元産ドングリから手をつけていき、マテバシイに至っては10日以上の学習時間が必要とされた。

このような答えをもっていたから、九州産のイチイガシのドングリに信州の動物たちがどのような反応をするのかを知ってみたかった。
もちろん、持ち帰ったイチイガシはブリキのバケツで10分間煮沸し、あとは自然に冷えるまで待った。
こうして、今回の実験は始まったのである。

その結果は、ご覧のとおりであり、今回「食わず嫌い」はまったく見られなかった。
九州では地産地消どころか見向きもされていなかったイチイガシが、信州では大変によろこばれたのである。
この結果には、オイラも驚いている。
ということは、全国のドングリをどこにバラ撒いても、それぞれの地域の野生動物たちが確実に餌にしていく可能性があるということである。
なので、このような実験はさらにいろんなドングリでやってみたいと思っている。
そして、もっともっと知らない世界を知ってみたいと思うし、ドングリはある種の動物たちにとっては生活の基本食物にもなっているので地場産ドングリを使って全国的にもそれぞれの地域性を見つめる意味でも各地で実験をやってもらいたいものだ、と思った。

まあ、「ドングリ撒き」といえばいろんな意見もあるが、自然界のことを語るにはまずは身近なところでの自然を知ることである。
オレは、自然の本を100冊読んでいるから何でも知っているんだ、とうそぶいている自然オタクは多い。
でも、それは他人の体験やデータを「読まされて」いるだけであって、自分のデータではない。
だから、クマの体臭がどんなものなのか、深夜の闇のなかで威嚇するときの声がどんなものなのか、フィールド経験のない者が「ドングリ撒き」にいくら反発しても、自然界の複雑機微に富んだ奥深いところまで理解できていないと、自分の言葉がもてずリテラシー能力にも限界があるので、結果的には悪口雑言の繰り返ししかできない気の毒な人間もでてくるのである。
これは、「自然オタク」に共通しており、これまでの「ツキノワグマ事件簿」カキコミ例の過去を追ってみてもレベルの低いところでいかに頭が固まってしまっている人間がいるかが分析すればよく分かる。

オイラは写真家なので、絶えず現場にいてナンボの世界である。
生態写真は現場でなければ撮れない、からである。
なので、自分のデータでしかツキノワグマをはじめ自然界のことは語りたくはない。
このため、他人の撮影したツキノワグマの写真を見ても、その裏側にどれほどの技術が隠されているのかはすぐに分かってしまうし、写真だけでなくその結果を生み出すまでにツキノワグマの生息状況をどれほど深いところまで知っていて撮影されているかまで読み取ることができる。
そんな視点で全国を見渡してみると、やはり各地でキチンとやられている人も少なくなく、それなりに努力されている人もいるから注目もしている。
そのような人たちがどんどん増えていかなければ、日本のツキノワグマを語ることはできないであろう。
それには、まず、日本全国の自然界の仕組みをそれぞれの地域に住む人たちが知っていくことであり、「ドングリ」を通してでもツキノワグマを語れるようになることが必要なのである。
そのためにも撮影技術力は身につけたいものだし、自然界をみつめ想像する企画発想力はもっと必要で大切なことだ、と思う。

(from/ gaku )

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