なぜツキノワグマは人を襲うようになったのか?自然の変化を鋭く見つめ続けてきた動物カメラマン宮崎学が送る新メッセージ
2012/6/7 木曜日   ツキノワグマ日記,研究

熊に「ドングリ撒き」プロジェクト検証実験中 その5


ドングリを通してツキノワグマを見る。
そして、ヒトの意識と人間社会を見る。
それが、オイラの「ドングリ撒きプロジェクト」の狙い、だった。

予想どおり、いろんな人間像が目撃できてオモシロかった。
ドングリは語りやすいから、レベルの違いが如実に表れて、まさに狙いどおりだったからだ。


(コナラのドングリを食べようと木に登っていくツキノワグマ)

そもそも、ツキノワグマが餌不足で可哀想だからドングリを撒く、という保護団体がいた。
その発想自体がオイラにはすごく新鮮でオモシロイ、と感じた。
はたして、撒いたドングリをツキノワグマが食べるのかたべないのか?
そんな素朴な疑問もあった。
だから、「ドングリ撒き」行為そのものにはすごく興味があった、のである。

ところが、この保護団体へのバッシングが一部の過激な人間たちから起きた。
バッシングするほうも、されるほうも、実証検証さえすればそれで済むことなのに、誰にも技術がないからそれもできない。
そんな技術のなさを棚に上げて、まあ、なんともくだらない重箱の隅をつつきあって、熊とは別方向にどんどん話がすり替わっていくあたりがオモシロすぎた。
あげくには、技術のなさを「仮想敵」に転嫁させていくあたりも情けないくらいにオモシロかった。


(広大なコナラ林では、ツキノワグマもこんなカンジで目撃できる)

ということで、オイラがやろうとしたら「案の定」、カゲキなカキコミは見ての通りである。
こんなことは、想定していたことだけれど、それにしてもツキノワグマを語る以前のレベルの低さというものが見てとれた。
こんなレベルでは、日本のいまある自然やツキノワグマを語ることはできない。
ドングリを撒く団体も、それに反対して糾弾する側も、実際にフィールドでツキノワグマをコンスタントに観察できているのだろうか?
生態写真の一枚でも撮れる技術があれば、もっと違う視点で大きな自然界を見ることができるから、同じツキノワグマを語っても世間を納得させられるハズであろう。


(ミズナラのドングリをクマが食べた食痕)

そもそも、研究者や専門家といわれるヒトたちだって、あまりにもレベル差がありすぎる。
断片的にちょろっとツキノワグマを語っているだけであって、いったい現在ツキノワグマが日本に何頭いるのかを調べる気概もなければセオリーどおりの発想でしか自然界を見てないような気がする。
これでは、これから先何も解決はしないであろうし、永久にツキノワグマのことなんてわからない、とオイラは思っている。


(このミズナラの木には、何年にもわたってツキノワグマがよじ登っていることは確認ずみ)

ツキノワグマは、日本に何頭いて、何頭以下に減じれば厳重に保護しなければならないのか。何頭以上になれば、余剰部分を管理捕獲していってもいいのか。
そうした基本となる数字に向けて努力と知恵が絞られなければならない。
こうした、基本的なことを全国的にやっていれば、「ドングリ撒き」に対する「反対論」だっていっぺんに解決できるからである。
だからこそ、オイラがやろうとしたのであって、そのことで、ドングリを通してヒトとツキノワグマをすでに語ることができた、と思っている。


(岩手県住田町 この広大なドングリ山をみて、この周辺にはいったいどれだけのツキノワグマが潜んでいるのだろうか、と思った。こういう環境でほんの一端を探って生息密度が確認できれば、周辺地域にも網をかけていくことができるから、ピンポイントでの密度の高い調査をまずしてみることが必要だ)

それは、これまでこの「ツキノワグマ事件簿」では、山口県から兵庫県まで中国自動車道を走ってみて周辺に展開される広大な「ドングリ林」の説明をしてきた。
さらには、北陸や中部、東海地方などを例にとりながら、ドングリ林が猛烈な勢いでできあがっていることを示してきた。
こうしたことも、ドングリとツキノワグマを結びつけるのなら、この広大巨大なドングリ林の存在に注目しなければならないし、そこから語られなければならないからだ。
そのためにも、ドングリ「餌付け」でも何でもして、その地域でのツキノワグマを語れることが重要ではないか。
それを、全国どこの地域でも「ドングリ撒きプロジェクト」としてやってみる必要があるし、それぞれの地域に生活しながらツキノワグマを語るヒトたちがいるとするならば、地場産のドングリを使って実験結果を出すべきなのである。
そんな結果が全国的に結集されれば、全国でのツキノワグマの大まかな生息総数がでてきて、いま現在のツキノワグマをキチンと語れるのではないだろうか。
そのキッカケづくりとなるために、オイラが今回「ドングリ撒き」実験をやってみているのであって、そのキッカケを与えてくれたのがドングリ撒きの保護団体である。
だから、ドングリ撒きのアイデアは「パクリ」なのである。
こんなおもしろいキッカケを与えてくれたのだから、ドングリ撒きの行為を糾弾するだけでなく、各地域で利用して観察実験になんでもっていけないのだろうか。


(ここは長野県更埴市だが、人口密集地のすぐ脇まで広大巨大なドングリ山。ツキノワグマはそれこそ「となり」にまで出現しているけれど、何千人、何万人の人口があってクマに関心のある人がそのなかに生活していたとしても、自分がどのような環境に暮らしているのかも気づく人はまずいないし、裏山で調査をしてみようとも思わないであろう)

そんなことだから、岡山県のように、これまでツキノワグマは10頭しかいないと考えられてきた。
それなのに、昨年(2011年)だけでも63頭が捕獲されてしまった。
岡山県の全生息数の1割が捕獲されたとしても、630頭がいることになる。
0、5割の捕獲率なら、1260頭。
0、1割の捕獲率なら、6300頭。
こういう数字にしても、岡山県の何箇所かで一定地域をピンポイントできちんと数量測定していれば、県全体に当てはめて総数の参考数字がでてくるではないか。
岡山県だって、どこに行っても見渡す限りの「ドングリ林」の山である。
なので、岡山県内に暮らし、ツキノワグマに関心があって語っている人がいるとするならば、お膝元で「確かな数字」というものをまずは探ってみる努力があってもいいのではないか、と思う。


(和歌山県の照葉樹林帯。このなかにもツキノワグマは確実に生息しているが、クマクールなどをつかって密度調査をしてみれば思いのほかビックリする数字がでてくるのかもしれない)

また、奈良県などではあまりツキノワグマの情報があがってこないが、つい先日ツキノワグマの糞の鑑定依頼が地元のハイカーからあった。
見てみれば、この季節特有のまぎれもないツキノワグマの巨大な「糞」だった。
奈良県では、少ないと思われているツキノワグマが、実はかなりたくさん生息していて、ほんと「となり」にいるのではないかと思う。
その奈良県だって、ドングリ林は低山帯まで広くたくさん広がっているし、和歌山県や三重県に接する山並環境をみれば、相当数のツキノワグマが潜んでいることが直感的にオイラには見えてしまう。


(岩手県奥州市 ここを通過して宮古市方面に抜けたが、ほんとうに広大巨大なドングリ山がいたるところに連なっていたが、「クマ棚」はここでは少なかったので別な調査アプローチが必要であろう)

だから、東北地方にいたるまで、いま現在の日本列島を早急に同じレベルにたって、自然環境と生息密度的な視野で見届けなければ今日のツキノワグマを語れないとオイラは思ったから、大急ぎで東北地方も旅して自分なりに環境を見てもきた。
東北地方でも、岩手県、秋田県、青森県の三県は、みんな自然環境がちがっていると感じた。
しかし、どこの県にもツキノワグマは多数が確実に生息している。
このため、ツキノワグマに対するアプローチも、それぞれの県ごとにちがう方法論で迫らなければ見えるものもみえてこないであろう、と思った。


(秋田県秋田市 ブナと針葉樹の混交林が多かったが、ツキノワグマの痕跡はいたるところにみられ、この山中でも実際にクマを目撃した。直感的には、信州のオイラのフィールド以上にツキノワグマが高密度で生息していると感じた)

全国の各地域には「○○ツキノワグマ研究会」なるものが散見できるが、「研究会」なんて名前をつけることはだれにでもできる。
しかし、要は、何をやっているか、だろう。
シンポジウムにしても、人さまのツキノワグマの話を聞いて、参加者は知ったようになっているが。
これとて、互いの技術のなさを確認しあって居場所をみつけて安心しているようなものである。
しかも、オイラのフィールドを指してのことであろうが、「長野県のような高密度生息地帯と一緒にはできない」、というようなことを言ってのっけから「逃げて」しまっているところもある。
まさに、自分たちの地域を勝手に「低密度」と決め付けてしまって調査技術のなさを確認しあっているようなものだ。
こういうところほど、リーダーがしっかりしていないとグループ全体が低レベルのまま無駄な時間だけが経過していくことになる、だろう。
オイラは、長野県の一部地域だけを重点的に調べ上げているが、体験を通した身体で覚えた直感力は全国の自然環境にも当てはめて見ることができる。
だから、自分の感覚を再確認するためにも、ほぼ全国を自ら踏査して各地域の自然環境をこの目で見てきたのだ。
その結果は、それぞれの地域に暮らす人たちが、レベルを高くして足下の自然環境を掘りさげられないかぎりツキノワグマのベールはまず剥がせないだろう、と思った。


(青森県八甲田山 ここは、見事なブナ林。しかし、「クマ棚」などツキノワグマの痕跡はまったく見られなかった。だが、かなり高密度で生息しているらしいから、やはりこの地域に見合った調査方法の確立が急がれる)

自然の見方なんてものは、全国どの地域にいっても100km置きにすべて違っているものである。
それなのに、全国一律の考え方で日本の地域全体にひとつのモノサシだけをあたえて見てしまっては、見えるものもみえてこなくなる。
なので、それぞれの地域に合った見方を、それぞれの地域に暮らしているヒトたちが独自に模索しなければならないのだ。
それが、オリジナルな自然の観察法なのであって、全国どこの地域でもそれは必要なこと、だからである。
オイラはそれをひとりで実践しているだけであり、写真一枚撮影するにもツキノワグマの気持ちが読めなくては何も前には進まないことをいちばんよく知っている。
だから、自分にとっては当たり前な表現でもそれができない者にとってはカゲキに聞こえるのかもしれない。
しかし、こればかりは自然を見るセンスでありオイラだけの独自な自然観なので仕方がない、と思う。


(長野県のオイラのフィールドの一つだが、この風景のなかだけで5~6頭のツキノワグマが常時生息している。ヒノキ、スギ、カラマツ、アカマツ、ヤマザクラ、オニグルミ、コナラ…など、森林樹相はかなりバラエティーに富んでいる。人家も三軒がこのなかに隠れている)

ドングリ林は、いまの日本全国に確実に広大巨大に展開されている。
そして、ツキノワグマは、いまの日本には予測以上にたくさん生息している。
それを、まず知ることがいちばん先に求められていることなのに、「ドングリ撒き」を餌付けだとか、遺伝子撹乱などと時代が縄文時代に逆戻りしていくようなことを言っていては何事もはじまらない。
現代の日本の自然界は、もうとっくに撹乱されているし、そのなかにツキノワグマも多数が生息しているのだから、イマのツキノワグマを探る方法論をスピードをもって実践することが最優先課題なのである。

2000年代に入ってからツキノワグマの大量出没がありながら、基礎となるデータづくりもできてないようではあまりにもお粗末すぎる。
なのでオイラは、2006年から本格的にツキノワグマを撮影しはじめた。
たった6年しか経っていないが、「となりのツキノワグマ」の写真集は4年で出してしまった。
写真を撮るにも、直感力と判断力のスピードがなければクオリティーの高い仕事は絶対にできない。
イマのツキノワグマの現状をとにかく大至急把握しておかなければならない、のだ。

それは、ニホンジカの異常繁殖で「くくり罠」がたくさん使われはじめてきているから錯誤捕獲によるツキノワグマの手負いや密殺がかなり進んでいるからである。
ツキノワグマの数が少なくなってから全容を調べて結果をだしても、そのデータは今現在のデータとは狂っているというワケであり、比較するべきデータはいまとっておかなければならないからだ。
そのためにも、各地でレベルアップしてスピードをもってツキノワグマの実態調査をしなければならない。
クマを語る意識レベルを、ほんとうにあげてもらいたい、とオイラは思っている。
そして、行動してもらいたい、と。


(岩手県 こんなところを車で走るだけでも、ここに暮らしていればクマをあらゆる方法で探る努力をしてみたいと思った)


(千葉県房総半島 べったりとした照葉樹林が海岸線の人家付近まで延びてきているが、ツキノワグマがいるのかいないのか?)


(千葉県房総半島 山中にはマテバシイのドングリを誰かが食べた痕跡があった。こういうことも、「ドングリ撒き」実験を根気よくやっていけば思わぬ発見もあろう)


(長野県 広大なコナラ林があって、ここには20頭以上のツキノワグマが潜伏していると感じた。樹上にでてくるものと、木にも登らないクマたちもいた。こうした発見は、地域環境とツキノワグマの習性を見抜く微妙なコツがなければ見えるものもみえてこない)


(ミズナラのドングリの食痕を拾い集めて林床に並べてみると、ツキノワグマがここでどんな気持ちで毎年ドングリを食べにきているかが見えてくる)

(from/ gaku )

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