なぜツキノワグマは人を襲うようになったのか?自然の変化を鋭く見つめ続けてきた動物カメラマン宮崎学が送る新メッセージ
2010/12/22 水曜日   ツキノワグマ日記

「山の神」とツキノワグマたち

2010年12月11日。
所用があって、北海道の道東まで出かけてきた。
飛行機とレンタカーを使って6日間ほど旅をしていたが、空港などでの待ち時間で吉村昭さんの「熊嵐」を再読しようと持っていった。
「熊嵐」は、1982年の発表と同時に読んで感動した覚えがあるが、もういちど読み返してみたくなった。
やはり、再読してみると、それまで分からなかったことが細部まで見えてきて改めてヒグマの習性などを知ることができた。
そして、ツキノワグマに秘められている習性も照らし合わせることもできた。

ヒグマによる7名もの殺人と数名の重傷者を出したことは、日本獣害史上最大の事件である。
釧路から正反対にあたる日本海側の苫前町で大正4年(1915)12月9日に、その事件は起きたのだ。
奇しくも、95年後の同じ時期にオイラは北海道で寒気を受けながらこの「熊嵐」を読んでいた。
もっとも、3年前の夏には、事件現場を一人訪れたことがあるから、小説を読みながらでも周辺環境を冬景色に変換しながら風景を思い浮かべることもできた。

事件は、400kg近い巨大なヒグマが入植集落を襲い、婦人を食ってしまったことだった。
ヒグマは少年や女を襲ったが、食ったのは2人の女性だった。
このときの史実によれば、ヒグマは女の寝ていた枕や布団を執拗に舐めニオイを嗅ぎ、狂い血走っていったようすがよくわかる。
そして、臨月を迎えた婦人の赤ん坊(男児)は食わずに、婦人の足の一部を残してほとんどを胃袋に収めてしまったことだった。
それは、おぞましい事件だったが、このヒグマの行動にツキノワグマの習性や歴史などを重ね合わせながら現代を考察すれば、かなりの部分で理解できるところはある、と思った。

それは、大正4年の開拓現場といえば、家だって筵で囲っただけの粗末な「小屋」。
もちろん、毎日風呂にも入れなければ、現代のようにシャンプーやデオドラントの効いた生理ナプキンだってない時代。
さらには、当時はほとんどが「土葬」だったので、墓にある人間の生死体をヒグマが掘り起こして食べたことのある個体は多かったと思う。
そうした味を経験したことのある「熊」は、毎年確実に通る「けもの道」があるから、そこを歩いていて開拓集落の各小屋から、それはそれは美味しそうな人間の女の「素」のニオイが漂っていれば食いたくもなるだろう。
だから、集落をいったん襲おうと決めたヒグマにとっては、当たり前の行動に出た、と考えられる。

これが本州では、ツキノワグマとなろう。
江戸時代から日本人は八百万の神をつくってきたが、そのひとつに「山の神」がある。
山の神は、女の神さまともいわれ、女人禁制のところも多い。
そんな山の神が、今日でも随所に祀られているが、オイラの知る山の神周辺にはツキノワグマが確実に生息している。
江戸時代から昭和中期までの中山間部に暮らす人間生活をみれば、やはり北海道の開拓時代と大差ないといえる。
それを考えると、「女人禁制」ということもかなりうなずけることである。
(さらに踏み込んで書きたいところだが、蔑視や差別などと、わけの分からない人権派などからいろいろ注文をつけられそうなので、これ以上の真理は省きたい。ここまでヒントがあれば、マタギ文化や民俗学の方面からでもたくさんの生態的な史実も考察できるから、参考にしてもらいたい。)

ここまで考えてみると、ハチミツやドングリだけをツキノワグマが食べていると視野狭窄に陥ったまま熊を語ることが、オイラにはあまりにも滑稽に思えてならない。
つい最近では、伊那谷でもツキノワグマがニワトリ小屋を連夜襲って何十羽と食べた事件があった。
また、増えてきたニホンジカを確実に捕食しはじめているツキノワグマもいる。
こうしたツキノワグマの動きをみても、たった数十年の文明経験者でしかない現代人が大きな自然界に対してカンタンに答えを出してしまっていいものなのか、と考えてしまう。
100年前にツキノワグマがどんな行動をとっていたのかまで考えてみれば、単純な判断で答えを出せないし、現代社会に至ってもそうした習性を「宿した」まま今日を生きているツキノワグマがいることを忘れてはならないからだ。

写真:
1)ツキノワグマも、見る角度によっては形相がすざまじく変わる。
2)北海道苫前町の三毛別(三渓)の六線沢には当時の開拓小屋が復元されているし、神社には犠牲者が祀られている。
3)随所にある「山の神」を訪ねて、それぞれの地形を判断しながらツキノワグマの通り道を探るもよし。
4)「熊手」とはよく言ったもので、土を掘ることは得意なのでこの手で墓をあばくのもカンタンだった。
5)昔の習性にならって、現代でも墓を訪ねるのはツキノワグマにとって容易なこと。

(from/ gaku )

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18 Comments

  1. おいらが山登りを始めた頃(1962~6)某大学山岳の3人パーティーが1週間近く羆に追われ、ひとり喰われ、又ひとり喰われながら何とか生還した記事を今でも強烈に覚えています(山岳雑誌『岳人』)
     ところで<gaku>さ…
    おら…とんでもない事をしちゃったような気するんだ。
    ウリンボウが美味くないから、何時も来る野良猫に食べさせようと、置いておいたら…なんと、エテ公が喰っているんだ。
    これから?????????年後(あえて副数字は付けません)

    ゴキブリの数十倍の勢いで地球を駄目にしちゃった人間の肉を食べながら、
     この地球上で一番高等動物になったと思い込んでいる猿が…
    猪の肉と比較しちゃ問題外だけど、熊と比べたらまぁまぁ喰えるジャン!
    てなことになるかもね。

    それから何百世紀も経って霊長類も居なくなった青い地球の中にはいったい何が棲息しているんだろうかね。

    Comment by su- — 2010/12/22 水曜日 @ 17:57:36

  2. 数ヶ月前、su-さんの書いておられる、福岡大ワンゲル部の事件を調べようと、ネットで検索していて「三毛別羆事件」のことを知りました。
    丁度夜中に読んだので、こわいこわい、ホラー映画なんか目じゃない。
    ヒグマもすごいんですが、開拓民が冬の北海道であの粗末な小屋で暮らしていたというのも衝撃でした。
    昔の人は強かったんだなあ。(寒さに)

    あれ以来、夜、庭に出る時の気構えが確実に変わりました。

    Comment by あーる — 2010/12/23 木曜日 @ 13:08:43

  3. 良く読んでみると、su-さんの書いておられるのはまた別な事件のことのようですね。失礼しました。

    Comment by あーる — 2010/12/23 木曜日 @ 13:11:03

  4. 「羆嵐」の元となった苫前三毛別の人食い羆のドキュメントを綴った「慟哭の谷」を読むと、羆の執拗なほどの女性への執着心がよくわかります。

    現在では、迷信の一言で片付けられてしまうことの中には、きちんと突き詰めていけば、根拠があること・・・多いのでは、ないかと思います。

    先日紹介してくださった「邂逅の森」、とても良かったです。

    Comment by もっち — 2010/12/23 木曜日 @ 18:05:42

  5.  熊が人を「食べる」にまで至る事件は、最初に人間のほうから、なにかを仕掛けているに違いない。いきなり人を「食べる」熊が居たとすれば、その前に、人間と何らかの接触があったということ。三毛別羆事件は「事実は小説より奇なり」の典型で、それを、そのまま受け入れるくらい、人は強くないし、熊だって強くない、と思う。野生とか原始だと言うくらい情的なものはない、と思う。

    Comment by エナメル — 2010/12/26 日曜日 @ 21:06:18

  6.  追記です。
     「100年前にツキノワグマ(ヒグマ?)がどんな行動をとっていたのかまで考えてみれば」というところの「100年前」とは、「三毛別羆事件の熊を対称として」ということでしょうか。一時的に有名になっただけだからから、それと比較して「100年後の熊は」と言うことできないし、ぜんぶの熊がそうではないということでしょう。たいていは、人から熊へと挑戦状を吹っかけておいて、しまいには、食べられてしまい、人の世で事件として扱われるのだと思います。その点、熊は、人間と違って、集団で襲ってこないだけいいと思いますよ。人間が図る時代差で、自然を対称とすることは出来ないようです。
     言いかたが、きつかったら、すいません。

    Comment by エナメル — 2010/12/26 日曜日 @ 21:47:11

  7. エナメル様 「人から熊へと挑戦状〜」という書き方が情動的だと思います。
    そんな戦闘状態が先にあってのことではなく、動物は以外と簡単に人を食べることがあります。
    家畜として飼われている豚や、犬、猫も条件によって人を食べることがあります。(そういう話を聞いたことがあるだけですが)
    それはたまたまそういう条件ができてしまったからで、そこに感情的な見方を持ち込むのは、一方的に人間の側だけです。

    Comment by あーる — 2010/12/26 日曜日 @ 22:19:30

  8. そうだと思いますよ。

    Comment by エナメル — 2010/12/26 日曜日 @ 22:57:41

  9. 「人間」がどんなものかは、皆さん、それぞれによくお分かりだと思いますけれど、野生動物となると、いろいろな見方があって、侮ったり憎んだりする見方もあれば、無闇と聖なるもの、無垢なものにしてしまう人たちもいますよね。好悪いずれにしろ、多くは感情移入とか、心理学で言う「投影」みたいなもののようにも思えるのですが、そういうものを一切、抜きにして、冷静な目で相手を見ることはとても難しいことなのかもしれません。特に「野生」と直にリンクしないでも生きていける現代人にとっては。もちろん私自身も、けして野生動物を身近に感じて生きているわけではないので、あまり偉そうなことは言えないのですが…(近所の藪に時々、タヌキが棲みついて、朝になるとうちの庭にも足跡が付いていたりはしていますが、あまり突っ込んで観察したことはありません)

    いずれにしろ、現代のように様々な安全策が無い時代に、自然に近いところで暮らすのはとても大変だったと思います。私は『羆嵐』を未だ読んでいませんが、江戸時代に越後の商家の隠居であった鈴木牧之という人が書いた『北越雪譜』の中の(岩波文庫にあります。「古文」といっても江戸時代の文章なので、あまり難しくはありません)オオカミの群れに襲われた一家の話を思い出しました。猟に出ていた猟師の、村はずれの家がオオカミの群れに襲われ、留守を守っていた女性と子供たちが喰われてしまった事件を書いています。当時、作者の隣村で実際に起こった事件で、家の何処かに隠れていて、辛うじて難を逃れた少女と、途中で帰って来て、鉄砲でオオカミを追い払った父親だけが生き残りました。当事者を知る人から、作者が直に聞いて書いた話のようでした。今は手元にないので、詳しくは御紹介できませんが、淡々とした筆致で描かれていた割には背筋が凍るような恐ろしさがあったように思います。

    Comment by やまひめ — 2010/12/28 火曜日 @ 0:05:06

  10. 80歳代後半の農家のおばあさんが、今年クマの目撃談が増えたから、ということで、話してくれたことを思い出しました。
    生理中は昔の人は山には入らなかったそうです。動物を寄せ付け、危険を
    自ら招くことになるからと言われてました。
    聞いたときは、変な話っ!と思いましたが、あながち嘘ではないのかもしれません。
    女性で猟をする人も同じことを言われていたのを最近、聞きました。
    昔から伝わる忠告はやはり聞くべきなのかもしれませんね。
    それと、クマは昔から鶏を襲ったりしていたそうです(同じおばあさん談)。

    Comment by kana — 2010/12/31 金曜日 @ 21:12:39

  11. 素晴らしいおばあさんですね

    現在の人は、クマに関する本を少し読めばわかったような気になっていますが、昔の人は、自分達で見たりさまざまな経験から野生動物達の生態や、つきあい方を見つけてきたのです
    そのおばあさんの言っていることは、すべて合っていますよ(現在の学者さんや研究者さん達には、絶対わからないことですね)

    このようなことをわかっている人も、今では恐ろしく少なく、gakuさんは遠回しに書いているのですが、果たして何人の人がわかったのか・・・・・

    Comment by 風 — 2011/1/13 木曜日 @ 23:29:39

  12. ここ、改めて読むとほんとうにオモシロイ。
    とくに、ピントのずれたカキコミ者がいるのも実に滑稽です、な!!
    その点、「風」さんはよく分かっているなぁー。
    自然界や野生動物とはなんたるかを分かっている人には、オイラが示した写真までしっかり読み説くこともできる、んでしょうが。
    分からない者には、何を言っても理解できないから気の毒…!!
    縄文、弥生という時代をツキノワグマがちゃんと生きてきて今日に至っていることすらも、理解できない者には、何いってもムリだと思う…。
    あの時代から、ツキノワグマは人間と「共存」してきているからだ。
    共存とは、たがいに「食い」「食われる」関係をいう、のである。
    いまの現代人だって、熊の肉を食っているじゃんか。。。

    Comment by gaku — 2012/10/22 月曜日 @ 14:25:47

  13. 今回のエントリーである 【ツキノワグマは「人を食う」…か?】
    の回答がここに出ていますね

    あまり記事にはなりませんが、食害された人は結構いるはずです
    ただ、あまりにも凄惨な状況なので、ほぼ表沙汰にはなっていないのではないでしょうか
    遺族のことを考えれば、これも仕方がないんでしょうが
    研究者のような人こそ、このような事例をキチンと調べる必要があるのかもしれませんね
    (あまり期待はしていませんが・笑)

    老若男女・・・・・どのような人が食害されているか?
    どこの部位を食害されているのか?
    こんなにヒントを書いても良いのでしょうか・・・・・

    Comment by 風 — 2012/11/28 水曜日 @ 1:14:16

  14. 風さん、ありがと。

    >こんなにヒントを書いても良いのでしょうか・・・・・

    大丈夫ですよ、
    日本でいま現在動物に関心もってやっているような人たちには、「現代社会学」「死の生態学」などは自然観察に関係ないと思っている連中ばっかり、ですから。
    だから、次なるハードルを絶対に越せません。
    なので、オイラは意地悪して行間にいっぱいのヒントをちりばめているけれど、それすらまったく気づけないから大丈夫。
    ましてや、凝縮視覚言語であるオイラの写真すらも「読めない」のですから、
    『写楽』のごとく、
    オイラはこの時間を思いっきり楽しんで走りぬけようと思っています。

    Comment by gaku — 2012/11/29 木曜日 @ 10:11:31

  15. ここのカキコミのトップにある「suー」さんの目撃談はスゴイ、ね!
    「死の生態学」やっていれば、こんなのカンタンに理解できます。

    「かってにシロクマ」というコミックがあるけれど。
    あの作者である『相原コージ』さんも、スゴイと思う。
    あのコミックをほとんどのヒトは笑い飛ばしてギャグっているだけだけれど、あそこにはたくさんのヒントが隠されていますよ。
    あれを、検証しただけでもスゴイことなんだけど、それに気づく人はいまの日本に誰もいない、とオイラは思っています。
    クマを語る学者さんや専門家さんたちよりも、「相原コージ」さんのほうが、はるかに熊の生態を知っているスゴイ人だとオイラは思います。

    Comment by gaku — 2012/11/29 木曜日 @ 10:30:48

  16. イヌイットもある意味同じだそうで、○○中はイヌイット社会から隔離するそうで
    シロクマに襲われることを経験則からわかっているそうです
    (さすがに、現在社会ではそこまでしませんが、昔はそうだったようです)

    科学を持たない時代の人間の感性の素晴らしさには驚かされると同時に
    科学を持った現代人の無力さや情けなさを感じてしまいます
    野生動物と共存していくのには、彼らの真の生態がわかっていなければなりませんが
    生態面だけのアプローチでは自ずと限界があることは明白で
    歴史・産業・民俗学的な視点からの総合的なアプローチも必ず必要と思われます
    表題にある「山の神」だって、ほとんど人はスルーしているのでしょうから
    何と言って良いやら・・・・ですね

    Comment by 風 — 2012/12/3 月曜日 @ 23:47:44

  17. どぶろく改めアオバズクです。

    かの食い物漫画によるとウシは雌の方が断然美味いのだそうで(それも子供を産まず避妊手術もされず3年大切に育てられた牛)。凡人にはわからんでしょうし、他の動物にもこれがあてはまるかはわかりませんが。
    また、ツキノワグマの味覚鋭敏さがいかほどのものか興味が有ります。
    ヒグマの場合サケの美味いところだけ食べてポイしちゃうみたいですから
    結構グルメなのかと思って居ます。マズル(ふん)の長さは嗅覚(≒味覚)が鋭敏な証拠。

    話変わってgakuさんも悩まされているであろうケーブルの食害。
    ちょっと気になることがあります。
    それは被覆が塩ビでできていることです(違う電線もあり)。
    塩ビの原料の60%は塩です。それに惹かれて囓ってしまうのでは?
    *塩ビを焼く臭いは人肉のそれに似ているとも本にありました。
    でも同じ塩ビのパイプが囓られたという話は聞かないですね。
    実は都会のビル内でネズミがガリガリやってたりして?

    Comment by アオバズク — 2012/12/4 火曜日 @ 16:07:53

  18. アオバズクさん、横から余計なおせっかい済みません。

    >かの食い物漫画によるとウシは雌の方が断然美味いのだそうで(それも子供を産まず避妊手術もされず3年大切に育てられた牛)。凡人にはわからんでしょうし、他の動物にもこれがあてはまるかはわかりませんが

    この「美味い」という由来を 肉の線維や肉汁(体液)の豊富さに求めるのであれば、そのとおりだと思います。成熟した牡の肉は固くて、臭気がしていまひとつ劣ります。
    簡単に言ってしまえば、マトンとラムの肉を比較してみれば一目瞭然です。マトンの臭気も脂そのものに付随していますし、生育とともに強くなっていきます。
    そのために牛も子牛のときに去勢して、牡にならないようにするわけなのですが、それでも牝と比較すれば差が生じることとなります。当然、牝畜も歳をとるほど、肉質は下がっていくこととなります。コミックでも、評価しているのは、まだ子牛を産んだことのない牝だったとはずです。

    かつて国の事業で国産和牛を増やそうとして、繁殖牝牛の素畜の払い下げに補助金が出たことがありますが、繁殖牝牛は容易には増加してくれませんでした。
    導入した農家が、繁殖牝牛の素畜を育成するのではなく、肥育にまわしてしまって肉畜として出荷してしまうという事が多かったからです。素畜を育成して繁殖に供することができるまでの年月と、それから交配して妊娠期間を満了して分娩できるまでの期間の長さ。その子牛が肥育用素畜として販売できても、販売価格を考えれば、今導入した牝子牛を肉牛としてしまった方がはるかに短い時間でより確実に収入を得られるからに他なりません。
    枝肉価格でも、品質的に牝牛の肉の方が、去勢牡の肉よりも評価を受けますから、出荷する側の農家であれば、当然のことながら、その点が計算の中に入ってのことです。

    ただ、この美味さというのも、対象者の年齢やお国柄によるようで、海原〇山氏も、各国からのお客様もてなすのに、美食倶楽部において、わざわざ歳を経たマトン肉を用意したということもありました。このときにも、それ相応の理由があったわけですが、さすがに脱線が過ぎますので…。

    Comment by プロキオン — 2012/12/5 水曜日 @ 11:19:49

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