なぜツキノワグマは人を襲うようになったのか?自然の変化を鋭く見つめ続けてきた動物カメラマン宮崎学が送る新メッセージ
2008/5/15 木曜日   ツキノワグマ日記

ツキノワグマの棲む山野は「荒廃」していない 

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「奥山が荒廃しているから、ツキノワグマは餌不足で困っている」
「だから、奥山から里へ餌を求めて出てきているのだ」
「奥山がどんどん荒廃しているから、ツキノワグマは絶滅してしまう」
「奥山は、スギやヒノキの人工林になってしまって、ツキノワグマがすめない環境になってしまった」
「里にくるクマは、奥山に放獣しても、荒廃しているから里へでてきてしまう」
「荒廃している奥山には餌がなく、人里には美味しい餌があるから、クマはどうしてもやってきてしまう…」
「奥山の山林荒廃で大切な水資源がなくなってしまうから、クマと共に人間にも危機が迫っている…」

このような論調が、ここ数年のあいだに定説のようになってきている。
テレビ、新聞の論説委員や解説委員までもが、まったく同じ論調である。

だから、「ツキノワグマ 奥山 荒廃」でWeb検索してみると、よくもまあ悲観的論調で同じような言葉しかつかえないホームページやブログがヒットしてくる、ものだ。
これらのページをみていると、いかに付和雷同している作者が、マスコミなど巷間伝えられているところの「言葉」の受け売りをしているかがよくわかっておもしろい。
マスコミにこうした意見を流すのも、自然科学者や専門家たちでなければ、マスコミだって記事にはできないだろう。
ということは、自分自身の目で、目の前にある現在の日本の自然の姿をいかに見切れていない人が多いか、ということである。
だからボクは、こういう記事にであうたびに、日本の自然をたしかな視線で見れない人がこんなにも増えてしまったのだろうかと、嘆かわしくなってしまう。

「山林が荒廃している」というけれど、現在の日本の山野は荒廃なんてしていない。
むしろ、ツキノワグマをはじめとする野生動物たちにとっては、最高に棲みやすいいい条件になっているからである。
そのことに気づかなくて、どうするんだ、といいたい。

山林荒廃とは、林業用語である。
林業関係者が補助金を獲得したいがために、使いはじめた言葉である。
植林した林が、手入れされないまま数十年間も放置されてきたから、間伐も、枝打ちもされず、植林樹木は蔓や雑木に痛めつけられて、山野は荒れるがままだ…。
だから、せっかく「補助金」をもらって植林した人工林が台無しになってしまうから、早く整備費用が「必要」だ、ということである。
これは、山林野を経済的視点だけでみた「荒廃」、なのである。

ツキノワグマやニホンザルは、山野を地上から樹上まで立体的に利用する動物なので、むしろ間伐や枝打ちされた「美林」より、現在の山林野のほうがはるかに餌が多いから大歓迎をしているのである。
ニホンジカやイノシシも、いまの山野のほうが豊富に餌があるから、爆発的に数を増やして現在なおも増殖中である。
だから、この4種は減少には向かっていない、のである。

こうした生物のフードチェーンを見ただけでも山林が「荒廃」しているとはいえず、自然科学者や動物の専門家までもが林業者と同じ論調になってしまうとはいかがなものか。
たしかな視線で自然界を読めない人たちが、「荒廃」という仮想敵をつくってしまって、その後の自然界探求の努力を怠ってしまうことのほうが、ボクには罪といえる。
もう少し、日本全体の山林野と野生動物たちの生態を照らし合わせてみれば、「荒廃」の意味にもおのずと気づくはず、だからである。

写真:どちらも同じ位置から撮影した中央アルプス中腹部にあたる38年後の姿である。
   1970年、植林されたカラマツは50cm足らず。それが、38年後には20mに成長している。
   しかも、林床にはあらゆる雑木が繁茂して、野生動物たちの餌場を提供している。
   当時20歳だった1970年に、ボクは今日を予測して、この写真を撮影していたのだ。
   この写真を見て、1970年と2008年では、どちらが荒廃しているといえるであろうか?これが、日本中の山野の現実である。

(from/ gaku )

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